最近の住まいではLDKはフローリング。各部屋もフローリング。和室時代も作らないお家が増えてきています。それでも、畳はリラックスできるという声が多いのも事実です。改めて日本の和室を構成する畳についておさらいしましょう。

畳の歴史

日本の文化は中国から伝わってきたものが多いなか、畳だけは日本固有の文化となっています

畳は平安時代からあった

畳のような敷物は古事記にも記載されていますが、畳が今のような形状になったのは平安時代からとされています。
しかし現在のように部屋全体に敷くという使い方ではなく、板敷に寝具として置く使い方をしていたようです。

この頃の畳は使う人の身分によって厚さやヘリの柄が違っていたため、現代のように誰でも使用していたというわけではありません。

鎌倉時代

鎌倉時代になると、ようやく部屋全体に敷き詰めるスタイルになっていきます。このスタイルを提唱し始めたのは銀閣寺で、建物の造りが書院造になったことがきっかけでした。

もちろんこの頃も畳は贅沢品だったため、天皇や位の高い貴族のみが畳を使った生活をしていました。

ちなみに、畳の縁にはさまざまな模様があり、貴族の位を表すものだったので、縁を踏むことは御法度とされていました。
このマナーは現代にも残っており、畳の縁を踏むのはタブーとされています。

安土桃山

安土桃山時代からは茶道が発展したこともあり、庶民にも畳が広まり始めます。
炉の位置によって畳の敷き方が変わっていったのもこの時代です。

江戸時代

本格的に畳が庶民のものとなったのは江戸時代からです。

茶道の文化とともに畳を庶民へ広めたのは千利休とされています。
千利休が広めた茶道文化によって、庶民にも部屋全体に畳を敷く文化が広がったのです。茶道を行なう「茶室」は農民や武士、貴族などの身分が平等になることができる唯一の空間でした。

そして江戸の町民によって畳はとても重宝され、長く使っていくための知恵が生み出されました。これまでの畳は野生のものを使っていましたが、江戸時代からは本格的にい草の栽培が始まり、江戸時代後期には職業としての「畳屋」「畳職人」が生まれたのです。

昭和

昭和になると高度経済成長の影響もあり、人々の暮らしが西洋風へと変化していきます。これまでの和室で座る生活から椅子やソファに座る生活へ変わっていったのです。

そのような変化のなかでも、住まいには必ず和室がありました。

現代

現代ではフローリングが普及したこともあり、畳のある和室は減少していきました。
畳の維持が大変、障子など付属するものが必要、和室の設置で費用がかかるという理由から住まいに和室を作らない人々が増えたのです。

しかし最近では、化学素材を使い維持しやすい畳や、置くだけの畳など、私たちの生活の変化に合わせた畳が作られ始め、再び畳人気が復活してきています。

畳の大きさ

畳の縦横比は全て2:1で統一されていますが、大きさは種類によって異なります。一般的な畳の種類は、大きい順に「京間」「中京間」「江戸間」「団地間」の4つが挙げられます。それぞれの特徴を見ていきましょう。

京間・中京間・江戸間・団地間の違い

「京間」

西日本で多く使われており、関西・中国・四国・九州がこのタイプです。正式には「京間」といいますが、関西間と呼ばれることも。大きさは1.91m×0.955mで、6畳間の広さは10.94㎡(平米)になります。

「中京間」

主に愛知・岐阜・三重で多く見られますが、近畿や四国、東北でも使用されています。大きさは1.82m×0.91mで、6畳間の広さは9.93㎡です。縦が6尺、横が3尺あることから、正式には「三六間」と呼ばれます。

「江戸間」

文字通り東京を中心とした関東地方をはじめ、静岡以北のエリアで使用されています。大きさは1.76m×0.878mなので、6畳間の広さは9.27㎡です。縦の長さが5尺8寸あることから、正式には「五八間」といいますが、「関東間」や「田舎間」と呼ばれることもあります。

「団地間」

地域に関係なく、公団住宅・アパート・マンションなどの共同住宅で使用されています。日本が高度成長期に入って住宅のニーズが高まった頃、多くの団地が建てられたことから生まれた新しい種類です。大きさに一定の基準はありませんが、1.7m×0.85mのものが多く、6畳間の広さは8.67㎡ほどになります。一般的に縦の長さが5尺6寸あることから、正式には「五六間」と呼ばれます。

一番大きな「京間」の広さを100%として他の種類の畳を比較した場合、中京間は91%、江戸間は85%、団地間は79%の広さになります。西日本の実家住まいだった人が上京してアパートを借りると「狭い!」と感じることがあるのはそのためですね。

どうしていろいろな大きさの畳があるの?

このように畳には様々な大きさの種類があり、地域によって使われる種類が異なっています。

その理由としては、畳サイズの元となる単位「一間(いっけん)」の長さが時代で変化したことが挙げられます。織田信長の時代は一間が6尺5寸だったものが、秀吉の時代には6尺3寸、江戸時代には6尺になり、畳の大きさに影響を与えたようです。

また、家の建て方の違いも理由の1つとされています。関西地方で多かった「畳割り」は、畳の寸法を基準とした建て方で、関東地方で多かった「柱割り」は、柱真(柱の中心)間の距離を基準とした建て方です。

それぞれの建て方によって畳サイズも異なってくるため、地域ごとに違う畳が生まれたのです。

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